死神のとおりみち

十七歳のヤジタは、クラスメートのスイに恋していた。スイは背が小さく、地味で大人しいのだが、学年中の男子を夢中にさせる魅力を放っていて、高嶺の花と崇められている。
だが。
「二組のあいつ、ウチのクラスのスイが好きらしいぜ」
「マジかよ。身の程を知れっつうの」
「スイのことマジになる奴なんて、バカしかいないよ」
たとえスイに恋していようとも、誰もそれを口にせず、むしろ口にした者を茶化す風潮が学年全体に蔓延していたし、それどころか、自分の気持ちを隠そうとするあまり、男子はみんな、こぞってスイの悪口を言いふらす。そんなわけで、スイと会話しようなどという無謀な者はいなかった。
ヤジタは、そんな彼らを冷めた目で見る。茶化されるのは嫌だが、好きな子の悪口を言いふらすのは、もっと嫌だった。
スイには、幼なじみのマキノという少女がいる。マキノの話では、二人はもともと家が隣同士で、小中高と同じ学校に通ってきたという。マキノの引っ越しやクラス変えで離れている時間の方が長かったが、高校二年で初めて同じクラスになって喜び合っている。
スイは、マキノ以外の女子から疎ましがられている。女子たちがスイを嫌う理由は特にないが、男子がスイを蔑むことばかり言うのを聞いているので、それにつられて、なんとなくスイのことが嫌いなのだ……ということらしい。
マキノは、男子にスイの悪口をやめるようかけあっている。ヤジタは、何度かそうしてマキノが走り回っているのを見たことがある。そのたびに、男子は申し訳なさそうにするのだが、次の日にはもう忘れている。スイの気持ちよりも、自分たちの見栄の方が大事なのだ。
「ヤジタ、ちょっといい?」
昼休みに、ヤジタはマキノに呼ばれた。廊下に出るマキノのあとについて行く。教室から一番近い階段のそばを通りかかると、急にマキノが振り返った。
「ヤジタってさ、スイのこと、どう思ってる?」
マキノに衝突しそうになったのと、不意に胸の奥を突いてくる質問のダブルパンチを食らって、ヤジタは焦った。
「な、なんでそんなこと聞くんだよ」
「だって、あんただけだよ、スイの悪口言わないの。ねぇ、どう思ってるの?」
「どうって、ただのクラスメートとしか思ってねえよ」
胸の内を悟られるのを怖れて、語気が強くなる。怒ったような言い方になったかと思ったが、マキノは気にしていない様子だった。
「そう。じゃぁ、みんなが言ってるような悪い子だとは思ってないのね?」
「あ、あぁ」
「よかった! みんなに根も葉もないこと言われてて、スイ、すごく傷ついてるからさ。できれば他の男子に、スイの悪口言うのやめてもらうように言ってほしいんだ。スイがいい子だってこと、ちゃんと知ってほしいし」
ヤジタは、思わず「わかった」と言ってしまった。しかし、ただ悪口をやめろと言っても改善するとは思えない。それどころか、スイを庇ったら、その時点で笑い者にされる。ヤジタは、ぐずぐずしていた。
そんな折。
ある日の授業で教室移動があった。ヤジタは、教室のある二階から四階の音楽室まで階段を駆けのぼる。みんなの姿は、すでにない。授業に遅れてしまう。焦っていると、目の前に階段をのぼる後ろ姿が見えた。
スイだった。
ひとりで、とぼとぼと。
ヤジタは、クラスメートの姿を見つけてホッとした。
そのとき。
「あっ」
スイは階段を踏み外し、うしろに——ヤジタの目の前に、背中から落下してきた。
やばい。
とっさに足を踏ん張り、ヤジタはスイを抱きとめた。床に叩き付けられるすんでのところだった。
「大丈夫?」
返事はない。目をとじて、ぐったりしている。貧血だろうか。顔が白い。仕方なく、ヤジタはスイをおぶって保健室へ連れて行った。
「あら、この子、今日も倒れたの?」
養護教諭が言った。昨日も廊下で倒れているところを発見され、通りがかった教員がかついで来たということだった。
「スイは、よくここに運ばれてくるんですか?」
「ええ、普段でも休み時間はだいたいここに来るわね」
ヤジタは驚いた。スイは授業には出席しているから、保健室の常連だとは知らなかったのだ。
いや、クラスの誰もが知らないだろう。誰もがスイに無関心を装っていて、視線だけはいつもその姿を追いかけているのに、本当のスイのことは誰も知らない。そのくせ誰もが胸の内で、自分が最もスイを理解している気になっている。内心、スイにふさわしい男は俺だ、と息巻いている
それはヤジタも例外ではなかった。
ヤジタは、自分の思い上がりを恥じて顔が熱くなった。
「授業のあと、スイの様子を見に来ます」
ヤジタは逃げるように保健室を出た。
そのとき、始業のチャイムが鳴った。一分遅れて音楽室に入ったヤジタは、教員に遅れた理由を説明した。それが、一部の男子の耳に入ったらしい。授業のあと、ヤジタは数人の男子に連れられて、スイを助けたときの様子について質問攻めにあった。
「おいヤジタ、スイとはどういう関係なんだよ」
「別に、なんでもねぇよ」
「まさかお前、スイが好きなの?」
「ばかじゃねぇの。俺は野球ひとすじなんだよ。そんな暇ねぇよ」
ヤジタは面倒臭くなり、曖昧に濁してその場を逃れた。いっそ、スイのことが好きだ、と堂々と言えたらと思う。
結局、保健室へは行かなかった。