4.翌日、ヤジタは部活の朝練で、みんなどこかよそよそしい態度なのが気になった。

翌日、ヤジタは部活の朝練で、みんなどこかよそよそしい態度なのが気になった。気のせいかと思ったが、教室に入ると、何人かはヤジタをちらちらと見てはクスクスと笑う。いよいよ気のせいではない。そのうち男子の一人がヤジタの席へ歩いてきた。
「ヤ、ジ、タ、くーん。昨日、スイとデートしたんだって?」
ヤジタは思わずのけぞった。
「なんの話だよ」
「とぼけんなって。昨日、水族館でおまえらを見かけたってやつが言ってたぞ。おまえ、ガッチガチになっちゃってたって? だっせえの。スイなんか相手にそんな様子じゃ、男としてどーなのよ」
その男子が饒舌に茶化すのを、周りは楽しげに聞いている。スイとマキノはまだ来ていない。ヤジタの目には、全員が敵に見えた。
「勝手なこと言ってんじゃねーよ」
ヤジタは立ち上がった。男子は驚いてヤジタを見上げている。ヤジタは、次に言うべき言葉を知っていた。
スイについて根も葉もない悪口を言っているおまえらに何がわかる。あいつと実際に話したことはあるのか。無邪気で、純粋で、少し影のある人間だ。高嶺の花でもなければ、観賞用のクラゲでもない。俺たちと同じ、心を持った人間だ。
だが、口に出たのは別の言葉だった。
「俺がスイに惚れてるって? ばーか、あれはデートじゃなくて偶然あそこで会ったんだよ。それに、ガチガチになんかなってねぇし。壁つくってたんだよ、壁。心の壁。そういう勝手な妄想すんなよ。スイとデートなんて気持ち悪ィ」
言いながら、何気なく教室のドアの方に目をやると、スイが呆然と立っていた。
一瞬、教室の空気が凍りついた。しかし、すぐにさっきの男子が笑いながら言った。
「そうだよなぁ。スイとデートなんて、気持ち悪ィよな」
それに合わせて、みんな笑顔で頷いている。
スイがそこにいるにも関わらず、誰もスイの悪口をやめなかった。
その日、ヤジタはスイと話さなかった。
マキノは風邪で学校に来なかった。

翌日、マキノは学校に来たが、スイの姿が見当たらないのでヤジタに声をかけてきた。
「今日、スイ休み? 特にメールもなかったんだけど、何か聞いてる?」
「別に……なにも」
ヤジタは、もごもごと返事した。
マキノと目を合わせられなかった。
「そっか……話したいこと、あったんだけどな」
心なしか、マキノの声に元気がない。横目でちらっと様子を窺うと、ため息をついて口をへの字に曲げている。初めて見る顔だった。
「なんかあったの?」
ヤジタは、極力刺激しないよう、優しく声をかけた。ヤジタの方を振り返ったマキノは、目が潤んでいて泣きそうだった。
「もしスイが来なかったら、この際、しょうがないからヤジタでもいいや」
いつもの憎まれ口は、鼻声で湿っぽくなっているせいか覇気がなく、ヤジタの方もしんみりとした気分になってくる。
「俺でいいなら、どうぞ」
「ヤジタが優しい。気持ち悪い」
「お前な……」
「うそうそ。ありがと。昼休みでいいかな」
「いいよ」
マキノは、ようやく頬を上げて笑った。
スイは、昼休みになっても来なかった。
ヤジタは、スイと携帯電話の連絡先を交換していなかったことを悔やんだ。あの後すぐ連絡をとって謝罪していれば、もしかしたら今日、学校に来たのかもしれないと思った。
「ヤジタ、今日、天気いいから屋上で食べない?」
珍しくマキノがしおらしいので、ヤジタは調子が狂って、素直に従う。屋上へ続く階段をのぼっていると、あの日、授業をさぼった時のことを思い出す。
今日もいつも通り、ドアに鍵がかかっていた。
「一回ぐらい、屋上に出てみたいなぁ」
マキノがぽつりと言った。
「ごめん。屋上に出れないの知ってたけど、教室にいたくなくて」
マキノはドアに背を向けて寄りかかった。「あたしさぁ、ふられたんだよね」
「彼氏に?」
マキノは目を伏せて頷いた。
「つまんない理由だよ。『マキちゃんと俺じゃつりあわないから』だってさ。説得しても、それしか言わないの。中学じゃ同じくらいのレベルだったくせに、ほんとは、あたしのこと見下してたんだよ」
「それで、お前は身を引いたわけ?」
「そんなわけないじゃん、二年も付き合ってきたんだよ。ケンカだって何度もしたし、もっと大変な思いをしたこともあったけど、いつもちゃんと仲直りしてきた。それに比べたら『つりあわない』なんて理由になんない、ちっちゃい話だよ……」
「じゃぁ、保留?」
「うん。頭冷やせって言っといた」
昨日、学校を休んだのは、このショックで熱を出したせいだとマキノは言った。案外デリケートな奴だ、とヤジタは思った。
スイも同じだろうか。
ヤジタは、自分の言動がスイの心に影響を与えるとは思えなかった。そんなふうに考えること自体、おこがましいのだ。
だけど、もし万が一、たったの〇・一パーセントでもその可能性があるとしたら、まず、目の前で同じように悩んでいるマキノを助けなければいけない気がする。
ヤジタは、思い切って訊いてみた。
「なぁ、お前の彼氏って、いかにもエリートな感じ?」
マキノは、かぶりを振って即答した。
「全っ然! のほほんとしてて、人見知り。街で変なのに絡まれても振りきれないから、あたしが守ってあげてる感じ。いつも『マキちゃん、マキちゃん』って懐いてて、可愛い奴よ」
ヤジタは思わず大笑いした。
「お前が彼氏かよ! 超想像つくわ」
失礼ね、とマキノは言いながら、つられて一緒に笑っている。
「浮気はしてねーの?」
「してないと思う。怪しい行動もなくて、ほんとに突然だったから……」
そう言って、マキノは俯いた。
「そいつ、自信がないだけじゃねぇの?」
「どういうこと?」マキノが顔をあげる。
「男ってのは、どんなにのほほんとした奴でも、好きな子のことは助けたい、守りたいわけよ」
ヤジタは、マキノに語りながら、自分の中の矛盾を突いた。
「それができないだけで、男としての自信がなくなるんだよ。そいつも、きっと」
「じゃぁ、女らしくしろ、ってこと? そんなの、あたしじゃないみたいで気持ち悪い」
ヤジタは、かぶりを振った。
「お前はそのままでいいと思う。それがお前のいいところだし、その彼氏も、お前のそういうところが好きなんじゃねーの? 単純な話、今まで、ほんとの意味でお前を助けないといけない機会がなかっただけだと思う」
「『ほんとの意味で』って?」
「例えばだけど、家庭が崩壊してお前がホームレスになったとか、半身不随になって生活がままならないとか……」
「なんか、スケール大きくない?」
「ごめん、お前たくましいから、身近な例が思いつかない」
マキノが笑った。
「身近な例ならあるよ。勉強、すごく助かってるもん。教えるのがうまくて、わかりやすくて、絶対いい先生になれると、あたしは思う」
「それ、彼氏に直接言ってやれよ」
マキノは、笑うのをやめて、真面目な顔になった。
「そっか……そうだね。あたし、忘れてた。当たり前になっちゃってたんだ」
マキノの顔に、生気が戻る。
「ヤジタ、ありがとう。あたし、彼氏をちゃんと男にする。男の自信を取り戻させる!」
この部分だけ誰かが聞いたら誤解を抱きそうな台詞だが、ようやくマキノらしさが戻ってきて、ヤジタは心の底から安堵した。
その時、昼休みが終了する五分前のチャイムが鳴った。マキノは、教室に戻ろうと言って階段を降り始めた。
ヤジタは、思い切ってマキノに言った。
「なぁ、戻る前に、スイのアドレス教えてくんない?」
今度は、自分が頑張る番だ。