目が覚めると、ベッドの脇に彼女が立っていた。彼女の家のベッドを占領して、いつの間にか寝てしまったらしい。彼女は深刻な顔でこちらを見ていて、あぁ、こりゃ怒られるなと思った。
「話があるの」
——はい。
「あたしね、最近、悩んでいたの。どこに行っても、あたしに似ている人がいるの」
——似ている人?
「ええ。よく目が合うし、目が合ったらニヤニヤ笑いかけてくることもあって、気持ちが悪かったの」
——なんだか変わった説教だな。まぁ、でも、悩みに気づけなかったのは悪かったよ。どうしてほしい? 警察行こうか?
「いいえ、もう大丈夫。解決したから。ある日ね、廊下の奥の鏡を見たら、居たのよ、あたしに似たそいつが。あたしね、分かっちゃったの。それはね、あたしのふりをしたストーカーだったのよ。今までハッキリしなくてグレーゾーンだったものが、真っ黒になったのよ。真ッッッッッッ黒に! 正体を突き止めたのよ!」
——いや、それは鏡に映った自分だろ?
「鏡だと思ってたけれど、実は別の空間に続く入り口だったのよ。だって、そのストーカーの背後には家の廊下があったもの。あれはあのストーカーの家なのよ」
——えーっと、じゃぁ、きみのこの家とそのストーカーの家は繋がってるってこと?
「そう、繋がってるの。こちらから向こうへ行くことはできないけれど、向こうからこちらへ来ることはできるみたい。それが、さっき言った『どこに行っても、あたしに似ている人がいる』理由よ」
——なんだか、ぶっ飛んだ話だなぁ……。
「あたしね、あんまり気味が悪くなって、昨日、家でブラヴォドをストーカーに向かって投げつけたの! 瓶は多分割れたわ。ストーカーの頭も割れちゃったかもね。ウフフフ」
——随分、乱暴なことをするんだな。
「だって、部屋が荒らされていたのよ! 許せないじゃない!」
——えっ、部屋が荒らされたなんて初めて聞いたよ。
「だって、さっき帰ったら、廊下の奥の鏡が割れているのよ。びっくりしたわ。あのストーカーの仕業よ。ひどいわ、あの鏡、気に入ってたのに。うっ、うっ……」
——……。
これ以上、何も言えなかった。気味が悪くて、この場から離れたかったから、泣き続ける彼女に簡単に別れを告げ、逃げるようにして家を出た。正直言って、彼女とはもうやっていけないと思った。しばらく夢中で歩いていると、携帯電話に友人から着信が入った。
「よう、今ヒマ? 飯食わねぇ?」
——あぁ、いいよ。どこで食う?
「地元のいつものところで良いよ」
その「いつもの店」で友人とおちあい、飲みながら近況報告をしているうちに、気分が良くなってきた。けれど、彼女の「悩み」についてのもやもやした気分は、なかなか晴れない。自分の姿をストーカーと言ううえに、鏡が別の空間への入り口だって? まったくわけがわからない。そういえば、昔から不思議なことを言っていたような気もするし、そうでもなさそうだし、どうだったかな。酒の勢いで、友人に先ほどの彼女の話を一部始終話してみた。中学からの腐れ縁だ。何でも話せる相手である。
「うーん、言っちゃ悪いけど、気持ち悪ィな」
——やっぱりそう思うか? 俺、もう彼女とは正直やっていけねぇよ。
「つーか、おまえらどのぐらい付き合ってんの?」
——いや、もうわかんね〜な。年単位だと思うけど。
「マジで? 俺さ、おまえに彼女がいるって、今初めて知ったんだけど」
——へ? 言ってなかったっけ?
「言ってないも何も、おまえつい最近まで会うたびに『彼女ほしい』って言ってたじゃん」
——……そうだっけ?
「その彼女って、どんな子? 可愛い?」
可愛い? そりゃ、可愛いから付き合ってるんだろう。だけど、けど、どんな子だったか、まったく思い出せなかった。
髪型は? 背の高さは? 声は?
何もかも思い出せない。なぜ? そうだ、携帯電話に登録があるはずだ。検索してみる。が、彼女のものらしき名前も番号もない。じゃぁ、さっき聞いた話は何だったんだ? 心臓が痛い、喉の奥が詰まってきた。酒も飯もうまく流し込めない。その後何を話したかは記憶になく、適当な時間で友人と別れた。彼女の家に行くつもりなど毛頭ない。そもそも、彼女の家を、あれ、なんで知らないんだ? さっきまで居たのに! 思い出せない——。きっと、飲み過ぎたんだ。家に帰ったら、すぐに寝て酔いを醒まそう。明日になればきっと冷静になれる。シャワーは明日でいいや。家に着き、鍵を開けて——鍵が、開いている。あれ、閉め忘れた? 泥棒に入られていないよな? おそるおそるドアを開け、廊下の電気をつけた。
廊下の奥で、ひからびた真っ黒な液体の上に、お気に入りだった鏡の破片と、ブラヴォドの瓶が転がっていた。